クイック・マッサージ(1960)

川で流された日のことを思い出す。あのとき、逆らい難い力を感じ、これが運命なのだと思うと私は幸福を感じ始めていた。岸が遠ざかっていき、誰も私が流されていることにはまだ気付いていない。人は、基本的に他人に無関心なのだ。彼らから遠ざかっていくことは非常に安心できた。存在しなかったのは私と彼らと果たしてどちらだったのだろうか。川の水は冷たい。もうここまで来れば、例え誰かが気付いたとしてもあの輪の中に加わらなくても良いのだ、そう思うことは私を安心させた。これまで本当に互いに必要としたことのある人間はいたのだろうか。関わってきた人間たちと多少の親密さはあったのかもしれないが、それは自分でなくても良かったような気がしている。流されている途中、本能的に岩に手を掛けたので、私は助かった。自発的にもう一度流されようという気分にはなれなかった。様々なことが面倒になっていた。結局日が沈む前に救助が来て、私は陸に戻されてしまった。あの冷たい岩場にはもっと留まっていたかった。しかし私はもうあの場所には戻ることができないだろうと思う。

お前の母さんには眉毛が無い

預けた体の重さは信頼の証だった。膝の上で眠る彼女を見て、この時間が続けばいいと思っていた。私は誰かに甘えたかったのでは無く、誰かに甘えられたかったのだと理解した。それは何故か。甘えるという行為は、少なくともそれを行っている間は、相手だけを見ているものだ。甘えられることによって私は自分の存在を再び思い出した。彼女の温かい体温や汗や舌の柔らかさや唇に塗ったリップのストロベリーの味やハンドクリームの質感、下着が可愛いでしょうと言って見せた微笑みや揃った前髪、チェルシーのヨーグルト味が一番好きなことや少しはにかむ仕草、それら数々を思い出すことで私はそのときに存在していた私自身を確認することができる。

原宿と私

部屋に戻ると後藤がいて、なにやらぶつぶつと独り言を喋っている。「私は既に過去から一滴残らぬほどの教訓を搾り出している。お前はまだそこに何物か重要なものがあると感じていて、奥へ掘り進もうと貪欲に意識を巡らそうとしているが、もはや有益なものはないよ。深追いは禁物だと教えられたのではないかね?子どもの頃に読んだ寓話を忘れたのか?それとも寓話の主人公同様に智恵で危機を切り抜けるのか?お前には死の匂いが粘着的に取り付いているから、事態はそう簡単では無い!直接的に言うならば、これ以上過去に言及しようとするならば、絶望して死に至る!」


「では未来はいかなるものか。少年でもない限り、未来とは時間軸に沿ったこれまでの経験の外挿である!即ち未来を考えるには過去がまるで炊き立てのご飯と味噌汁のように仲良くセットになっているということだ。その意味でやはり未来も絶望に繋がっている。もっともお前の場合は四十で自殺を企てているようだから、別の意味でも絶望に繋がっているわけだがね。過去と未来の絶望に挟まれて頓死とは、第三者の視点からは愉快極まりないが、ならば他人に笑いを与える道化の意味でおまえ自身も秘かに満足を感じているのでは?」


とはいうものの、その満足も一時的な効果しかないのでやはり未来について思いを向けることも危険であるに違いない。お前は現在の瞬間に生きることで自分自身を助けることができる。では、幸福そうな他者を見るときの敗北感は?あの風景は俺に絶望の意味を徹底的に教える。自分自身に対する失望がお前を死に導く一番の劇薬だ。高みを望んでは破れ行く、自分自身を笑う必要があるし、この自意識自体を笑うべきか?遂に至るは腕を切り落としたいほどの昂揚感!

堀ノ内で会いましょう

今週は毎日ピザをつくった。生地をサクサクにする為には耳たぶの柔らかさにしたのち(イーストを溶かした湯の量で調節)、オリーブオイルを大匙1ほど入れるとよろしい。これを1時間ほど寝かせたものは、簡単に整形できる。厚みは2ミリほど、縁は少し厚めに残しておき、具から出た旨味のジュースを逃さない土手の役目を課す。トッピングにはトマト、歯ごたえを楽しめるエリンギ、生ハム(ベーコンでも可)を基本として、好みのものを乗せる。アンチョビや、カレー粉、ブラックオリーブなどを使用しても味にアクセントが付いてよい。チーズはモッツァレラが最も良く、その理由は溶けたときに下の具を蒸し焼きにする効果と、絶妙な溶け具合によってトッピング全体を統一してくれるからである。さて、ここまできたら、220度に熱したオーブンで8分程度焼けば、完成である。


もし、という仮定の話を持ち出して現在の自分の境遇を嘆くことは全く有害なことである。なぜなら、想像と現実とを同一の条件で比較するのはフェアでないからである。想像はいくらでも理想的なものにすることが可能である。そのような夢想に固執することは、現実を推し進める力にならない。この話の教訓は、問題があるならば現実を改善する努力をせよ、ということだ。


その分野の専門家たちで構成される集団になじむ為には、そこで用いられる専門用語や概念に通じることが最も重要であるだろう。まず言葉を覚え、意思疎通を可能にすることから始めるべきである。その作業に手を抜いて形式的に渡り歩くことは非常に危険であるし、得られるものの深さが違ってくる。基礎を知らぬ人は現前する個別の事象にそのつど対処するだけに終わるが、概念を理解していれば、全ては有機的に繋がり、理解が理解を生む正のフィードバックの発生によって、知識は加速的に深化するだろう。我々は深い洞察をする人間になる必要があるのだ。